岸和田藩
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■ 岸和田藩(きしわだはん): 大阪府岸和田市

・ 「岸和田」の地名

・ 岡部家5万3千石・譜代大名

・ 1640年に高槻から岡部家転封

・ 岡部家駿河国の土豪で、今川家の滅亡後、武田氏に従い、その後徳川家に従った。 

・ 岡部家(和泉国岸和田藩): 岡部家は、もとは今川家の重臣だったが、今川義元の怒りをかい、武田家を経て徳川家に仕えた。家康の関東入国後には上総国山崎1万2千石から、関ヶ原の戦いの後には丹波国亀山藩3万4千石、丹波国福知山藩5万石へ。その後も播磨国龍野藩5万3千石、摂津国高槻藩5万1200石、和泉国岸和田藩6万石へ。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

# 岸和田藩士:  

# 岸和田藩(きしわだはん): 和泉国。岸和田城。岡部家。譜代大名。5万3000石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区永田町。天正13年、小出秀政が入封して立藩。その後、松井松平家を経て、寛永17年(1640年)に、岡部宣勝が入封。以後は、岡部家が十三代続いて廃藩置県へ。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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