布勢氏
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 古代豪族の目次
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 布勢氏: 「布勢」の名字の由来

# 布勢(ふせ)氏

・ (1)孝元天皇の皇子の大彦命を祖とする氏族。氏名は地名に因むと思われるが、比定地は不詳。撰姓氏録の左京皇別では、阿倍朝臣と同祖とし、完(しし)人・高橋・許曾倍(こそべ)・若桜部の各朝臣、阿閉(あへ)・竹田・名張の各臣と同系氏族である。初見は大化二年(646年)に、東国国司(介)となった富制臣で、七世紀の中頃に阿倍氏から分立してできた氏族と思われる。姓は臣であったが、後に朝臣となった。この賜与の記録はないが、天武天皇十三年(684年)に本宗氏族阿倍氏が臣から朝臣の姓を賜与され、これ以降にみられる布勢氏の各人物は朝臣を称したので、この年に本宗に准じて朝臣を得たものと思われる。一族にはまず御主人が名高い。御主人は麻呂古の子で、舒明天皇七年(635年)生まれ。最初に史上に表れるのは、朱鳥元年(686年)で、この年に天武天皇の嬪宮で太政官を誅した。時に直大参。翌持統天皇元年(687年)および同二年にも行い、このときの官職は納言であった。持統天皇五年には増封八十戸、総計三百戸の封戸を得ており、冠位も直大壱であった。また氏上に任ぜられた。御主人はこれ以降、阿倍の氏名で表れ、この氏上は阿倍氏の氏上で、本宗を継承したことになる。この系統は上級官人を多く輩出し、外交関係の役職者が多かった。(2)応神天皇の御子、若野毛二俣王の後裔氏族で、近江国伊香郡布勢邑(滋賀県伊香郡木之本町)を本拠とするか。姓は君。(3)仲哀天皇の皇子、忍稚命の後裔氏族。姓は公。布施とも書いた。(2)と同一氏族の可能性もある。【出典

姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細】  

統計表示