源氏
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 古代豪族の目次
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 源氏: 「源」の名字の由来

# 臣籍降下の源氏

# 源(みなもと)氏

・ 皇族賜姓の一つ。姓は朝臣嵯峨源氏・仁明源氏・文徳源氏・清和源氏・陽成源氏・光孝源氏・宇多源氏・醍醐源氏・村上源氏・冷泉源氏・花山源氏・三条源氏など、後代の賜姓源氏も含めると十六流ある。皇室経済の節約のために皇族を臣籍に降し源朝臣姓を与えた。歴史上顕著な活躍がみられるのは嵯峨源氏・村上源氏・清和源氏などであり、嵯峨源氏と村上源氏は公家として、清和源氏は武家として活躍し、桓武平氏と並ぶ武士団の棟梁であった。賜姓源氏の初めての事例は、嵯峨源氏である。弘仁五年(814年)五月八日に嵯峨天皇の諸王の臣籍降下・賜姓源氏の詔を出し、府庫の空費を防止しようとする意図で行った。このときに、源朝臣姓を賜ったのは、信・弘・常・明・貞姫・潔姫・全姫・善姫の八人で、信をもって戸主となし左京一条一坊に貫附されている。清和源氏は清和天皇の皇子らに賜姓したのに始まるが、一番栄えたのは貞純親王の系統である。貞純親王の子の経基、その子の満仲と部門の道を歩み、満仲は摂津国多田(兵庫県川西市)を本拠としながら摂関家に奉仕して京内での活躍も多かった。満仲の子の頼光も摂関家との関係を密にし、貴族社会における立場を築いていった。同じく満仲の子の頼信は平忠常の乱を平定し、その子の頼義と孫の義家も前九年の役後三年の役を平定した。義家の曽孫の義朝の子が頼朝や義経である。【出典】 

姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細】 

統計表示