「庄内」と「荘内」
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■ 「庄内」と「荘内」: 「庄内」の地名の由来

http://www.shonai-nippo.co.jp/corporate/shonai.html

これは昔から疑問に思ってたんだよねぇ。まぁ、学問レベルの話を抜きにすればどっちでもいいとは思っていたが。

ところで、これも学問的に言えば「庄内藩」というのは歴史上ないはず。存在したのは「大泉藩」それに、たぶん「山形藩」や「会津藩」というのもないんじゃないかなぁ。あったのは「朝日山藩」と「斗南藩」のはず。なぜなら、「藩」という呼称は厳密には明治時代になってから使われた呼び方だったらしい。まぁ、一部では江戸時代から使われていたという話もあるが、どうも長州での呼び方が明治になって導入されたらしい。

【参考】「藩」とは、古代中国で僻地においては郡県制をしかずに軍司令官に支配させていた制度で、新井白石などが日本の大名の領国の支配に似ているとして「藩」と呼び始めた。しかし、江戸時代、この呼び方は一般化しなかった。明治維新後、長州が「長藩」と呼んでいたことがひろまったという。

 でも、現在では江戸時代の大名家のことを藩と呼ぶのが一般的なのでそれでいいと思う。それと同様に、「聖徳太子」はいなかった、いたのは「厩戸皇子」だとか、昭和時代には「昭和天皇」はいなかったとか、秀吉の時代には「大阪城」はなかった、あったのは「大坂城」だとか、いろいろあるね。

 大阪はかつては大坂と書いたわけだが、武士の世の中、「坂」は「土に返る」として縁起が悪いとして大阪になったんだっけかなぁ。そもそも、諸説あるんだろうが「大坂」は「本願寺」があった上町台地への上る坂の意味だったかなぁ。古代には、この上町台地を除いてはみな海の中だった。それが大阪。 

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