「日本史の謎は「地形」で解ける」の読書
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■ 日本史の謎は「地形」で解ける 竹村公太郎 PHP文庫  

# 「日本の灌漑の歴史」によると1600年以前の約1000年間の日本の農地面積は約120〜140万ha。それが1700年頃には約300万haと増加している。【日本史の謎は「地形」で解ける 竹村公太郎 PHP文庫】

※ これを見ただけでも、江戸時代に入ってからの新田開発(畑も含む)が如何に盛んだったかが判る。そのポイントは「河を征する者は国を征す」ですかねぇ。その代表例が徳川家康による利根川の東遷だし、明治に入ってからは石狩川の短縮工事ですね。とくに、石狩川の周辺は泥炭層で大変だったようだ。石狩川の流れをまっすぐにすると、川の流れが速くなって河底が下がる。それによって周辺の地下水位が下がって、従来は湿地帯だったところが肥沃な大地になった。そして、いまや北海道は日本有数の農産地域となった。話は変わるが、江戸時代の新田開発に大きな役割を果たしたのが、三河や尾張出身の武将達。江戸時代になって、それらの譜代大名達が全国に配置され、それぞれの地域で河川改修を行ったと言う。山形市でも、江戸時代初期に鳥居の殿様が行った馬見ヶ崎川の東遷。鳥居の殿様は重税などであまり評判は良くなかったようですが、鳥居の殿様の馬見ヶ崎川の東遷と蔵王ダムによって、山形市は洪水などの自然災害から守られているといってもいい。もっとも、側溝や堰が溢れるといった都市災害はあるようですが。話は戻るが、河川改修に大きな力を発揮した三河や尾張の殿様達。尾張などは木曽三河に代表される洪水の常習地帯ですからねぇ。むかし、学校で習いましたよ、「輪中」。それだけ災害が多いと言うことは、災害に対する対応力も蓄積されてくると言うことですね。現在は、地球規模で自然災害が増えている時代。日本の災害対応力の輸出といった大きなマーケットを逃す手は無いですね。

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