愛媛県内の「忽那」の名字の詳細
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■ 忽那(くつな): 愛媛県の忽那(くつな)家  

# 愛媛県の忽那(くつな)家: 忽那島をルーツとする水軍。藤原北家の出で、藤原道長の子孫にあたる藤原親賢のときに忽那荘を開発した。南北朝時代には南朝に属し、室町時代には河野家に従った。出典

# 伊予国風早郡忽那荘(愛媛県松山市忽那諸島)の国衆出自は諸説あるが、藤原北家末裔という親賢が忽那島に流されて忽那氏の祖になったと伝える。以後は忽那島の開発領主になって、親賢の曾孫という俊平が鎌倉幕府御家人となって、忽那島の地頭になった。以後は、忽那島を本拠として、海賊として活動した。重俊のときに、所領が兄弟で分割相続されたことから、内訌が続いた。南北朝時代には、義範は南朝に属し忽那氏は全盛期を迎え、懐良親王を島に迎えて3年間保護した。室町時代には河野氏に降って、戦国時代には河野氏の重臣をつとめた。天正15年(1587年)の豊臣秀吉の四国攻めで滅亡した。【出典

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