「忽那」の名字の由来 | |
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■ 忽那(くつな)
【2022/10/27:改編】
# 全国の半数以上は愛媛県にみられ、松山市(旧中島町)に多くみられる。
# 伊予国風早郡忽那荘(愛媛県松山市忽那諸島)をルーツとし、藤原北家の出。藤原道長の子孫の親賢が忽那島に流されて忽那氏の祖となった。
# 女優の忽那汐里(くつな しおり)はオーストラリアの出身。
# 2022/05/07: 以下、閲覧者の方から情報が寄せられましたので追記させていただきます。
・ 忽那姓の祖と言われる藤原親賢(ちかかた)の系図を調べてみたら、藤原北家の房前にたどり着き、房前(ふささき)の子、魚名が親賢の祖、 房前の子、真楯(またて)が道長の祖
鎌足ー不比等ー房前ー魚名---親賢
房前ー真楯---道長
魚名、真楯兄弟のところで系図が分かれた遠い親戚のようです。
# 忽那(くつな): 愛媛県松山市忽那諸島(くつなしょとう)。
・ 忽那嶋: 奈良時代から伊予国風早(かざはや)郡にみられた地名。古代において当島のことを「コツナ」と呼んだかもしれない。【出典】
・ 忽那荘: 鎌倉時代から伊予国風早(かざはや)郡にみられた荘園名。忽那島荘ともいう。長講堂領忽那荘の成立年代は不明だが、「忽那島開発記」によれば、寿永元年、忽那俊平が、米麦200石を寄進したという。この寿永元年説は信じがたいが、長講堂(後白河院仙洞御所内の持仏堂)建立後、まもなく開発領主の忽那氏によって長講堂へ寄進されたものであろう。地頭の忽那氏がいた。【出典】
# 国衆(国人)
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