山形県内の「天童」の名字の詳細 | |
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■ 天童(てんどう)
# 出羽国村山郡天童(山形県天童市)をルーツとする。清和源氏の斯波氏の出。最上直家の次男の頼直が天童を領して天童氏を称した。以来、最上氏とともに大崎氏の重臣となった。1584年に頼久のときに最上義光に敗れて落城。文禄年間に伊達氏に仕えた。江戸時代には仙台藩士。宮城郡八幡村(宮城県多賀城市)で1347石を領した。家格は準一家。現在も東北地方に多く見られる。【出典】
# 出羽国の戦国大名。清和源氏の斯波氏の一族で、最上直家の二男の頼直が出羽国村山郡天童(山形県天童市)を領して天童氏を称したが、本来は成生荘(なりゅうしょう・天童市)の地頭の新田氏の庶流の里見氏の出で、頼直は里見氏の養子となって跡を継ぎ、のちに天童氏を称したともいう。室町時代には天童周辺に割拠する国人層の「最上八楯」の盟主でもあった。代々最上氏に属していたが、やがて独立性を保つようになり、天正12年(1584年)に頼久が最上義光の国衆層掃討に敗れて落城、頼久は自害して滅亡した。【出典】
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