北条家
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■ 北条家

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■ 後北条家

# 坂東平氏伊勢流

# 代表家紋

# 伊勢氏の支流で、備中国に居住した一族。伊勢盛時(北条早雲)が今川氏の内紛に関与したときに駿河国を与えられ、その後そこを本拠地として後には相模国などへも勢力を伸ばした。

# 盛時の子の氏綱が北条に改めたが、鎌倉幕府の執権の北条氏とは関係が無く、区別のため後北条と呼ばれる。

# 北条早雲は室町幕府の官僚の伊勢氏の出。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】 

# (後)北条家: 家紋「三つ鱗」。桓武平氏の維衡流。幕府の政所執事の伊勢氏の庶流。備中国の伊勢宗瑞(盛時・早雲)が、京都から駿河に下向し、姉の子の駿河国の守護の今川氏親に仕えた。明応2年(1493年)に伊豆を平定。その後、相模国に勢力を拡大し小田原に移った。2代氏綱が永正15年(1518年)に家督を継いで、大永3年(1523年)に伊勢から北条に改姓した。戦国時代末期に豊臣秀吉に敗れ滅亡した。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 北条早雲は伊勢氏の分家の出で、父親の盛定は備中国に領地を持っていた。盛定は足利義政の申次衆として活躍した。層雲は伊勢盛定と伊勢貞親の姉妹との間に生まれ九代将軍の足利義尚の申次衆だった。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】

# 北条早雲の姉妹の北川殿が今川義忠の正室。義忠がはやく亡くなったので、2人の間の子である氏親(義元の父)への継承を助けるため早雲は駿河国に転じ、客分として沼津の興国寺城を与えられた。早雲の一族が北条氏を名乗るようになったのは、早雲の子の氏綱。名目的な主君の古河公方と自分たちの関係を、鎌倉時代の将軍家と執権の北条家にならったという。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】

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