藤井松平家
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■ 藤井松平家(ふじいまつだいらけ): 松平家 

# 藤井松平家(出羽国上山藩

・ 三河国藤井郷をルーツとする。初代の信一は関ヶ原の戦いの後に、常陸国土浦藩3万5千石。その後、上野国高崎藩5万石、丹波国篠山藩5万石へ。そして、播磨国明石藩7万石から下総国古河藩9万石。その後、不祥事で改易となったが、旧藩主の忠之の弟の信通が家督を継いで備中国庭瀬藩3万石。そして、出羽国上山に転封となった。(このとき、すでに無くなった上山城を再建した?)。そのために財政状態が悪化して藩士の人員削減を行った。八代信将のときに凶作から一揆がおきるなど、藩政は混乱した。14代信庸のときに、幕末の混乱から江戸市中取締を命ぜられ、鶴岡藩とともの薩摩藩邸を襲撃した。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

・ 藤井松平: 三河国碧海郡藤井(愛知県安城市)を本拠とした。松平信一が関ヶ原の戦いの後に常陸国土浦3万5千石。

# 藤井松平家(信濃国上田藩

・ 藤井松平家の二代に信吉の次男の忠晴を祖とする。駿河国田中藩2万5千石から、遠江国掛川藩3万石、丹波国亀山藩3万8千石へ。その後、武蔵国岩槻藩4万8千石、但馬国出石藩4万8千石、信濃国上田藩5万8千石と転じた。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】 

# 藤井松平家: 長忠の五男の利長が三河国碧海郡藤井(愛知県安城市藤井町)に分知されたことに始まる。二代の信一は家康の関東入国後、下総国布川5千石。関ヶ原の合戦後には常陸国土浦藩3万5千石。孫の信之は老中を務め、播磨国明石藩大和国大和郡山藩を経て、下総国古河藩9万石。しかし、嫡子の病気にて改易。弟の信通が備中国庭瀬藩3万石。子孫は出羽国上山藩3万石。分家は信濃国上田藩5万3千石。
・ 藤井家: 松平長親の?男の利長が三河国碧海郡の藤井城(愛知県安城市藤井町)に拠ったのが祖。家康の関東入国に際して下総国相馬郡布川5千石。関ヶ原の戦いの功で常陸国土浦3万5千石。その後各地を転々とし、出羽国上山藩主信濃国上田藩主は分家。【出典

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