「ははかべ」の名字の由来
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■ 波々伯部(ははかべ、ほうかべ)

【2023/05/22:改編】

# 14899位

# 全国に約400人

# 漢字四文字苗字ランキング: 10位

# 八木町誌では藤原北家の出という。地名は「ははかべ」だが、名字は「ほうかべ」ともいう。末裔熊本藩士。【出典

# 丹波国多紀郡波々伯部保(兵庫県篠山市宮ノ前)をルーツとする。同地の開発領主で出自不詳。鎌倉時代初期の承久年間から同地に波々伯部氏がいたことが知られる。戦国時代細川氏に従い、江戸時代には熊本藩士。【出典

# 「波々伯部保」とは、京都祇園感神院の社領。

# 読みは「ははかべ」「ほうかべ」があるが、「ほうかべ」の方が多いらしい。

# 大阪府の波々伯部さんは「ほほかべ」読み。兵庫県篠山市宮ノ前の波々伯部神社は(ほほかべじんじゃ)。千葉県の波々伯部さんは「ははかべ」読み。

# 波々伯部とは、古代に行われた亀占いで使った「ハハカ(ウワミズザクラ・上溝桜」を朝廷に献上した部民が住んでいたところ。

# 兵庫県や大阪府を中心にみられ、兵庫県ではその大半が篠山市にみられる。

# 丹波国何鹿郡の国衆。「八木町誌」では、藤原北家の出とあり、丹波国多紀郡波々伯部保(兵庫県丹波篠山市)の開発領主という。鎌倉時代初期の承久年間から同地に波々伯部氏がいたという。元弘元年(1331年)には波々伯部為光が波々伯部城を築き、足利尊氏の挙兵に参じた。以後は、守護細川氏に従って、南北朝時代には船井郡に進出し、その後八木城主の内藤氏家老をつとめた。戦国時代には何鹿郡に勢力を広げ、小畑城(京都府綾部市)に拠った庶流もある。天正7年(1579年)に明智光秀の丹波攻略で、猪崎城主の塩見氏とともに滅亡した。【出典

# 波々伯部(ほほかべ): 丹波国。篠山(ささやま)盆地の中央部、篠山川中流域の左岸。地名の由来は、古代亀卜に用いるハハカの炭を貢上する部民が居住していたことによるという。【出典
・ 波々伯部保: 平安時代から戦国時代にかけて丹波国多紀郡にみられた保名。波々伯部村ともいう。

※ 平成25年9月12日のテレ朝のモーニングバードのコーナーの「Gウーマン」では、群馬県前橋市に住む「天才和裁士」が紹介されていましたが、その方の師匠?の名字が「母壁」。見慣れないので一瞬なんと読むのか迷ったし、初見なので調べてみました。

# 「部」のつく名字

■ 母壁(ははかべ)

【2013/09/13:新載】

# 33397位

# 全国に約100人

# 東京都や千葉県を中心とした関東地方南部に点在し、難読・稀少名字大事典(東京堂出版)によると「波々伯部」から転字したものらしい。

# 「父母」のつく名字

■ 宝壁(ほうかべ)

【2022/11/07:新載】

# 関西地方の名字。京都府綾部市に多く見られる。「波々伯部」から変化したものか。【出典

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