「ちょうなん」の名字の由来 | |
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【2016/08/23:改編】
# 山形県を中心に北海道から関東地方に多くみられ、約1/3は山形県にみられる。山形県内では庄内地方から最上郡大蔵村にかけてまとまってみられる。
# 主なルーツ地
・ 上総国長柄郡長南庄(千葉県長生郡長南町)をルーツとする。
# 陸奥国の留守氏の家臣に長南家があり、上総国をルーツとすると言われる。
# 山形県に多くみられ、特に東田川郡庄内町(旧立川町)や最上郡大蔵村に多くみられる。
# 上総国長柄郡長南庄(千葉県長生郡長南町)をルーツとする。
# 「長」のつく名字。
# 「東西南北」のつく名字。
■ 庁南(ちょうなん)
【2023/04/25:新載】
# 上総国の戦国大名。長南氏ともいう。甲斐国の武田氏の一族。享徳の乱の際に、武田信長は古河公方の足利成氏に属して転戦し、乱の後には上総国の守護代になった。武田信長は庁南城(千葉県長生郡長南町長南)と真里谷城(千葉県木更津市真里谷)を築き、自らは庁南城に拠って上総武田氏の祖になった。庁南城は孫の道信が継いで、以後は庁南氏を称した。戦国時代には豊信は里見氏を経て、天正5年(1577年)の北条氏の里見攻めを機に北条氏に従った。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めで滅亡した。【出典】
# 「東西南北」のつく名字。
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