「田原」の名字の由来
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■ 田原(たはら、たわら)

【2023/01/24:改編】

# 代表家紋

# 中国地方から九州地方にかけて多く見られる。豊後の田原氏は「たわら」読みで、豊後国国東郡田染郷田原(大分県杵築市)をルーツとし、藤原北家秀郷流で、大友氏の一族。肥前の田原氏は豊後の田原氏の一族で室町時代に豊後国から移った。【出典

# 大分県の田原家: 大友家の分家で藤原北家秀郷流。豊後国国東郡田原(大分県杵築市)をルーツとする。戦国時代には大友家の重臣。【出典

# 田原(たはら): 伊勢国三重郡の国人。伊勢赤堀氏の一族で、浜田城(三重県四日市市鵜の森)に拠って北畠氏に属した。1576年に滝川一益に敗れて元綱が討ち死に、子の重綱は美濃国に逃れた。その後は織田信雄に属し、1584年に加賀野井城で豊臣秀吉に敗れて討ち死にした。【出典

# 田原(たはら): 豊後国国東郡の国人。国東郡田染郷田原(大分県杵築市大田)発祥で、藤原北家秀郷流。大友義直の十二男の泰広が田原氏を称した。のちに沓掛田原氏と武蔵田原氏の二流に分かれた。以後、国東半島に勢力を持ち、南北朝時代に直貞は足利尊氏に従って全盛期を迎えた。戦国時代には大友氏の重臣をつとめた。【出典

# 「田」のつく名字

# 「原」のつく名字

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