「革島」の名字の由来
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■ 革島(かわしま)

【2023/01/14:新載】

# 山城国葛野郡革島荘(京都府京都市西京区川島)の国人清和源氏佐竹氏庶流。佐竹昌義の五男の義季が讒言で失脚後、近衛基通を頼って革島荘に住み、子の義安が下司となって革島氏を称した。室町時代には西岡中派被官という御家人となって地頭職をえた。応仁の乱以降は実質的に革島荘を支配していた。1565年に三好三人衆によって丹波国に追われたが、1568年に一宣は上洛した織田信長に属して革島荘に入部していた鶏冠井氏を討ち、信長から本領を安堵された。以後は、細川藤孝に従っていたが、藤孝の丹波入封には従わず、本能寺の変の際には明智光秀に従って所領を失った。江戸時代には帰農した。【出典

# 山城国葛野郡革島荘(京都府京都市西京区川島)の国衆清和源氏佐竹氏庶流。佐竹昌義の五男の義季が讒言で失脚したのちに、近衛基通を頼って革島荘に転じ、子の義安が下司になって革島氏を称した。室町時代には、西岡中派被官という御家人になって地頭職を得た。応仁の乱の以降には、実質的に革島荘を支配した。永禄8年(1565年)に三好三人衆によって丹波国に追われたが、永禄11年に一宣は上洛した織田信長に属して革島荘に入部していた鶏冠井(かいで)氏を討って、信長から本領を安堵された。以後は、細川藤孝に従った。本能寺の変の際には、明智光秀に与して所領を失った。【出典】  

# 京都府の革島家

# 「島・嶋」のつく名字

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