「英虞」の地名の由来 | |
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■ 英虞郡(あごぐん): 三重県
・ 古代より明治29年までみられた郡名。志摩国2郡の1つ。英虞の地名は、「日本書紀」持統天皇6年に「阿胡行宮」とあるのが初見。「続日本紀」養老3年4月丙戌条に「分志摩国塔志郡五郷、始置佐芸郡」とあり、この時分離した佐芸郡がのちの英虞郡と推定される。【出典】
■ 英虞湾(あごわん): 三重県志摩市
# 「あご」=「なぎ(凪)」で凪は古くは「なご」と言った。また、その昔は「あご」といった。「静かな湾」の意味。【誰も知らない語源の話 増井金典 ベスト新書】
# 万葉の昔から歌に詠まれた当湾は、「阿胡行宮……」(日本書紀、持統天皇6年)、「嗚呼見乃浦尓船乗為良武※嬬等之珠裳乃須十二四宝三都良武香」(万葉集巻1、柿本人麻呂)とあるが、「嗚呼見乃浦」「阿胡・阿児ノ浦」については諸説があり、その地がどこであったかは確かでない。志摩地方はリアス式海岸で入江が多く、古くから網による漁業が盛んであったことから「網」「網児」と呼ばれたとも考えられる。【出典】
# 英虞湾(あごわん): 持統天皇6年(692年)に「阿胡行宮(あごのかりみや)」が置かれたことが、日本書紀に書かれているが、関係性は定かでは無い。「網を引く人」という意味の「網児(あご)」に由来する。または、古来より真珠の産地であることから、真珠が採れる「阿古屋貝(あこやがい)」に由来するともいう。【出典】
# 英虞湾(あごわん): 三重県。日本書紀に、持統天皇が伊勢神宮に行幸に際して阿胡行宮(あごのかりみや)を営んだとあり、この「阿胡」に由来する。【出典】
# 英虞湾(あごわん): 三重県志摩市の志摩半島の湾。志摩国の郡の一つで「英虞郡(あごのこおり)」と呼ばれていた。持統天皇6年(692年)に「阿胡行宮(あごのかりみや)」が置かれたことが「日本書紀」に書かれており、この時点ですでに「あご」という地名が使われていた。「英虞」という漢字は単なる当て字とみていい。【角川日本地名大辞典】では「網」「網児」に因むのではないかとの説を出している。古語辞典でみると、「網子(あご)」の「あ」は「網」、「ご」は「人」を指すとあり、「地引き網を引く人」とある。この地では、地引き網漁はできそうもないが、「網」にちなんだ地名と考えることもできる。しかし、もっと決定的な説を提案したい。それは「阿古屋貝」である。この貝から採れる珠を「真珠」という。古来、この地が真珠の産地として知られるのは、この阿古屋貝からとれる真珠であったことを考えれば、「英虞」のもとは真珠ということになり、歴史的経緯と一致する。【出典】