「猿」の地名 | |
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「さる」の語源 |
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★ 角川日本地名大辞典で、後方一致て「猿」の地名を検索したら、無し。
■ 猿島(さしま): 茨城県猿島郡
・ 「サ(接頭語)」+「シマ(島)」で、「川や湿地に囲まれた島状の地」。【出典】
・ 猿島(さしま): 茨城県猿島郡猿島町(現坂東市)。昭和31年に合併時の新命名で、郡名に因む。【出典】
■ 猿江(さるえ): 東京都江東区猿江
■ 猿賀(さるか): 青森県平川市猿賀。中世には去河と書く。津軽平野東南端に位置し、岩木川支流の浅瀬石川、平川支流の引座川が形成した沖積地と、東方から突出する舌状低台地上にある。地名はアイヌ語の「サラクカムイ」(変化神)に由来するという。【出典】
■ 猿ケ京(さるがきょう): 群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉。地名は、上杉謙信が越後から関東へ進出するにあたって、宮野郷と呼ばれていた当地を、門出を祝う郷を意味する猿ケ京と改めた故事によるという。また平安初期蝦夷征討のため下向した征夷大将軍の坂上田村麻呂に従って下向した田村伊勢守・藤原政信らが延暦24年に住みついたと伝え、この田村伊勢守・藤原政信・宮野弘三・森綜三郎によって開拓され、村名を宮野と称したが、貞治2年に猿ケ京と改称したとも伝える。【出典】
・ 猿ヶ京(さるがきょう): 上杉謙信による地名伝承がある。越後国の上杉謙信が関東攻めのために三国峠を越え、ここ宮野に陣を張ったときに、謙信が見た夢の話である。宴の席で、膳に向かうと箸が一本しかない。そして、ご馳走を口に入れたとたん、前歯が一気に八本も抜けてしまった。その夢を家臣に伝えると、それは関八州を一気に手に入れるということで、おめでたい話だと言われた。その日ちょうど「庚申(かのえさる)の日」で、申(さる)にちなんでその地を「申が今日」であったことから「猿ヶ京」と名付けられた。しかし、サルは地名的に言えば「崖」のことで、「京」は文字通り「峡」のこと。【出典】
■ 猿が馬場(さるがばんば): 富山県小矢部市。富山・石川県境の小矢部(おやべ)市礪波(となみ)山に所在。倶利加羅(くりから)峠の東に位置する源平合戦の古戦場。地名は、かつて野生のサルが住み、通行の旅人に危害を加えたという伝説による。のちにサルは退治されたが、その霊をまつる猿堂が現存。【出典】
■ 猿ケ森(さるがもり): 青森県下北郡東通村猿ケ森。地名の由来はアイヌ語系のサル・カ・モライで、沼池の上の遅い流れという意味から起こったという。【出典】
■ 猿川(さるかわ): 和歌山県。地名について「続風土記」には「山中の名なり、硲(さこ)川の転ならん」と記している。【出典】
■ 猿久保(さるくぼ): 長野県佐久市猿久保
・ 地名の由来については、上の城からみて申の方向のくぼ地にあるので猿久保と呼んだという説と、幸神社があることから幸久保とも称され、これが猿久保に転訛したという説がある。【出典】
■ 猿倉(さるくら): 秋田県由利本荘市鳥海町猿倉。中世には根井氏の居館があった。地名の由来は断崖・岩場の意という。【出典】
■ 猿倉(さるくら): 福井県勝山市。戦国時代には猿蔵と見える。地名は、牛ケ谷を出た牛が近江国へ行く途中当地で猿が牛の背に鞍を載せたことから「さるくら」の名が起こったという説、古くからこのあたりは庚申野と呼ばれ、一里塚としての庚申塚を意味する申座から猿倉が起こったと考える説などがある。【出典】
■ 猿毛(さるげ): 新潟県上越市柿崎区猿毛。地名は、かつてこの地の山中に鹿・熊・猿などが生息していたことにかかわると思われる。【出典】
・ 猿毛(さるけ・さるげ): 新潟県柿崎町猿毛(さるげ)。新潟県加茂市猿毛(さるけ)。同名の山と川もある。猿毛は当て字。「サル」は、「土壌が去る」、つまり「ずれる、崩れる」こと。ケは処(け)で場所のこと。崖崩れや洪水で、土砂が流出すること。沙流処(さるけ)などが内容を比較的表しているか。ただし、山には実際に猿がいたかもしれない。すると、猿処山(さるけやま)などの名付けが行われる可能性もある。昔は、動物の名前を地名や人名につけることを好んだ。【出典】
■ 猿骨(さるこつ): 北海道宗谷郡猿払村。現在の猿払(さるふつ)村の行政字名。地名はアイヌ語のシヤレトクに由来し、「茅の端」を意味する。【出典】
■ 猿沢(さるざわ): 岩手県下閉伊郡岩泉町猿沢。小本川支流猿沢川中流域に位置する。集落は山間の河道に沿って点在する。数層の火山灰を挟む崖錐性扇状地地形および谷あいの数段の河岸段丘上に立地する。地名の由来は、アイヌ語のザレ(崖崩れした所、小石の多い所)からの変化で、湿地・湿原・藪・泥炭地の意と考えられる。「下閉伊郡志」では「元、福沢と称せしが、野猿が多く棲息する事から後に猿沢と改称するにいたる」とあるが、動物のサルを意味するかどうかは不詳。【出典】
■ 猿沢(さるさわ): 岩手県一関市大東町猿沢。地名の由来は、平泉の藤原氏の時代に、奈良の猿沢の池に模して大池を造ったことにちなむと伝える。【出典】
■ 猿田(さるた): 秋田県。地名の由来は、猿が開いた田があるという言い伝えによるといわれるが、崖崩れの土地に開田した所という意味か。【出典】
■ 猿田(さるた): 茨城県鹿嶋市猿田・茨城県桜川市猿田。「さんだ」ともいう。地名は「風土記」に見える寒田、「サムタ」で「サンダ」と変わり猿田の字をあてられた。【出典】
■ 猿田(さるた): 千葉県銚子市猿田町
・ 古くは作田と称した。利根川支流高田川上流沿岸に位置する。古代筑紫の農民が来住して当地を開いたという。【出典】
・ 猿田駅(さるたえき): 千葉県銚子市猿田町。JR東日本・総武本線。サルはザレという地名と同じく、崖くずれの激しい土地のこと。そういう地形を背景に持つ田処ということ。【出典】
■ 猿橋(さるはし): 岩手県和賀郡西和賀町沢内猿橋。猿のかけた橋という伝説があり、地名はこれにちなむという。【出典】
■ 猿橋(さるはし): 新潟県妙高市猿橋。長沢川・平丸川が関川に合流する付近に位置する。地名の由来について、旅の僧が当地にさしかかったところ大雨で橋が流され、困窮していたら猿が出てきて川を渡してくれたという伝承がある。【出典】
■ 猿橋(さるはし): 山梨県大月市猿橋町
■ 猿橋(さるはし): 石川県輪島市門前町猿橋。能登半島北部、阿岸(あぎし)川上流の狭い谷の傾斜地に位置する。地名の由来は、「鳳至郡村名由来書」によれば往古公家衆が流罪の時に橋を架けたが、猿が渡り初めしたので猿橋村と唱えるようになったという。また、文化12年「郡方橋梁調書」には「猿橋村の橋。長五間、巾五尺とあり。猿橋の名は此橋より起りたるか。此橋は阿岸川に架けたる橋也」とある。【出典】
■ 猿八(さるはち): 新潟県佐渡市猿八。村名は、一村立ちしたのが申年8月であったことに由来するともいう。【出典】
■ 猿跳(さるぱね): 宮城県伊具郡丸森町。伊具郡丸森町の西端、福島県梁川町との境にある淵名。県境付近、阿武隈川両岸の岩山がせり出してつくった淵をいう。地名の由来は霊山の神と耕野山王の神との間を使者の野猿が群をなして往復したことによるという。【出典】
■ 猿喰(さるはみ): 福岡県鞍手郡鞍手町中山猿喰。地名は、往古大猿が田畑の作物を食い荒したことに由来するという。なお、大猿は射殺されたが、のちその霊が祟り禍事が起こったので、山中に小社を設けて猿神を祀ったと伝える。【出典】
・ 猿喰(さるはみ): 福岡県北九州市。大猿が作物を食い荒らしたという土地の古い伝承による。【出典】
■ 猿払(さるふつ): 北海道宗谷郡猿払村
■ 猿別(さるべつ): 北海道中川郡幕別町猿別。地名は、アイヌ語のサルペツ(葭原の川の意)に由来する。【出典】
■ 猿間(さるま): 秋田県大館市猿間。地名は、米代川の狭まる地に立地し、「サル」の意である小石が多いことによるという。【出典】
■ 猿丸(さるまる): 岐阜県高山市荘川町猿丸。村名の由来について「後風土記」は「今昔物語集」巻26第8「飛騨国の猿神、生贄を止めし話」を滝(猿丸滝)が存在することからも当地の話とし、多年猿丸を神とあがめていた地であるため、他村より猿丸と呼ばれたのであろうとする。【出典】
■ 猿留(さるる): 北海道えりも町。地名は、猿留川の川名により、アイヌ語のサル・オ*・オ・ペッ(よし原・の中・にある・川の意)が転訛したサロロペツに由来する(えりも町史)。一説には、サロルンウシ(鶴が多いところの意)に由来するともいう。【出典】
■ 猿和田(さるわだ): 福井県。地名の由来については、アイヌ語の「葦が生えている所」という語源であるとも、また地内南端の猿がたくさん住んでいた「字さるや」という所から生まれたとも伝える。【出典】
■ 猿渡(さるわたり): 熊本県上益城郡山都町猿渡。「さわたり」ともいい、古くは佐渡とも書いた。地名は狭い渓谷の地形にちなむと考えられる。【出典】
■ 猿爪(ましづめ): 岐阜県瑞浪市陶町猿爪。地名は、地内関屋の庚申石碑の三猿が爪の字に見えることに由来すると伝える。【出典】
※「猿」のことを「ましら」というから、「ましら−つめ」から「ましづめ」になったんだろうねぇ。
■ 猿野(ましの): 三重県伊賀市猿野。麻志野とも書く。地名は、6疋の猿を朝廷に献じた故事によるという。【出典】
【アイヌ語由来】