尊き人々
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■ 和宮(幼名・通称)

・ 1846年〜1877年
・ 諱: 親子
・ 院号: 静寛院宮
・ 階位: 二品(にほん)
・ 120代仁孝天皇の娘で、14代将軍家茂の正室。121代孝明天皇の異母妹。
・ 皇女和宮は仁孝天皇の皇女で、母親は権大納言の橋本実久の娘の経子(つねこ)。【「街道」で読み解く日本史の謎 安藤優一郎 PHP文庫】
・ 享年31歳

# 和宮(かずのみや)【出典
・ 1846−1877年。享年32歳(病死)。
・ 出身地: 京。
・ 肩書き: 徳川家茂の正室。
・ 家族: 父:仁孝天皇、兄:孝明天皇。
・ 仁孝天皇の第八皇女。1858年に、幕府は攘夷論者の孝明天皇の勅許をえられないまま日米修好通商条約に調印。大老の井伊直弼は尊皇攘夷論者を弾圧して、桜田門外の変で暗殺された。このような状況下で老中になった安藤信正は、公武合体の融和策で切り抜けようとした。和宮には婚約者の有栖川宮熾仁親王がいたが、婚約は破棄されて十四代将軍の徳川家茂の正室となった。20歳の時に家茂が死去、和宮は仏門にはいって静寛院宮を称した。

■ 孝明天皇諡号

・ 1831年〜1866年
・ 百二十一代天皇
・ 諱: 統仁(おさひと)
・ 幼名: 煕宮(ひろのみや)
・ 外国を嫌い、攘夷を主張した。その背景には外国から持ち込まれる疫病を恐れたという。

■ 明正天皇(めいしょうてんのう)諡号

・ 1624年〜1696年。
・ 百九代天皇(称徳天皇以来859年ぶりの女帝で徳川家の血を引く)
・ 諱: 興子(おきこ)
・ 幼名: 女一宮(おんないちのみや)
・ 二代将軍徳川秀忠の五女の和子の息女で後水尾天皇の子。

■ 以仁王(もちひとおう): 1151−1180年。後白河法皇の皇子。平家高倉天皇を奉じたため、皇位争いに敗れた。後白河法皇が幽閉された後、1180年に平家追討の令旨を発令した。しかし、平家に追われて、近江国の園城寺から奈良に逃れる途中に討たれた。以仁王の挙兵は失敗したが、源氏の蜂起のきっかけとなった。【出典


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