河井継之助
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■ 河井継之助(かわいつぐのすけ)【出典

・ 「河井」の名字

・ 1827ー1868年。享年42歳(戦傷)。

・ 出身地: 越後国(新潟県)

・ 肩書き: 長岡藩士

・ 家紋: 丸に剣片喰

・ 武芸全般と陽明学を学び、のちに江戸に出て、また備中国松山(岡山県)や長崎への遊学し、朱子学、兵学、経世論などを学んだ。その後、長岡藩に戻り、1865年に37歳の時から藩政改革を担って成功させた。農政改革、灌漑工事や治安管理など、多方面にわたって手腕を発揮して、とくに軍制の中央集権化を図って、軍事訓練を行った。大政奉還から王政復古のクーデターが起きると、新政府軍と旧幕府軍との間で戊辰戦争が始まった。長岡藩に迫る新政府軍に対して継之助は非戦の交渉に臨んだが、新政府軍はあくまでも長岡藩の降伏と会津征討軍の先鋒になることを要求したため、交渉は決裂した。その後長岡藩は奥羽越列藩同盟に加わった。長岡藩は善戦したが、長岡城が落城。継之助は会津に敗走する途中に、戦傷によっておきた破傷風で死去した。 


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