坪内能登守定鑑
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■ 坪内能登守定鑑(さだかね)

・ 「坪内」の名字の由来

・ 呉服橋内の南町奉行所、常盤橋内の北町奉行所に加えて、元禄15年(1702年)から享保4年(1719年)までの16年間、鍛冶橋内に中町奉行所があった。奉行の座についたのは、丹羽遠江守長守と坪内能登守定鑑(さだかね)。坪内氏は、三代に渡って織田信長に仕えたが、豊臣秀吉とは不仲で、のちに徳川家康に仕えた。坪内定鑑は慶安2年(1649年)、御先手筒頭を務めた坪内定次(800石)の次男に生まれた。その後、家督を継いで1100石に加増。中町奉行時代に絵島生島事件があった。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】 


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