柳生宗矩
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■ 柳生宗矩(やぎゅうむねのり)(諱): 「柳生」の名字の由来

・ 1571年〜1646年
・ 別名: 新左衛門・又右衛門
・ 階位: 但馬守
・ 将軍家の剣術指南役。大和国柳生藩の初代藩主。

・ 剣聖といわれた柳生石舟斎宗厳の五男として大和国の柳生に生まれた。宗厳・宗矩親子は1594年に100石で家康に仕え、関ヶ原の戦い後大和国柳生に2000石を得た。その後、将軍家の兵法指南となり柳生藩1万2500石の大名となり、大目付をつとめた。

・ 長男の柳生十兵衛は三代将軍徳川家光小姓を務め、剣術を指南した。

■ 柳生宗厳(やぎゅうむねよし): 1527−1606年。大和国柳生庄の出。石舟斎の号で知られる。上泉信綱に師事。織田信長らに仕えたが、病のため隠遁。徳川家康に召し出され、剣技兵法を披露。五男の宗矩が兵法指南役となった。【出典

■ 柳生三厳(やぎゅうみつよし): 1607−1650年。宗厳の五男の宗矩の長男。通称は十兵衛。幼少時の稽古で隻眼になったという。12歳で家光の小姓になって、後に剣術指南役を務めた。剣豪として多くの作品に登場する。【出典】


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