高鍋藩
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■ 高鍋藩(たかなべはん): 宮崎県高鍋町

・ 「高鍋」の地名

・ 秋月家2万7千石・外様

・ 秋月家播磨国の出で、太宰府の要職について、鎌倉時代に福岡県の秋月に住んだ。

・ 出羽国米沢藩上杉鷹山は秋月家から養子に入った。

・ 日向高鍋藩の秋月家。上杉鷹山の実家として有名だが、鷹山の兄の秋月種茂は日本史上初の「子ども手当」の創設者として有名。「農家の三人目からの子どもには1日米二合か麦三合を支給」というもので、人口の増加に寄与したと言われる。藩政改革に苦労した上杉鷹山は兄の改革が支えとなり、兄からの手紙で何度も励まされたという。

・ 幕末の藩主の秋月種殷の弟の種樹は、1862年に幕府の学問所奉行に命じられた。後に若年寄となった。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】

# 高鍋藩士: 千手家

# 高鍋藩(たかなべはん): 日向国。高鍋城。秋月家。外様大名。3万石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区元麻布。豊臣秀吉の九州平定後、筑前秋月から秋月種実が入封して立藩。関ヶ原の合戦で、子の種長が西軍から寝返り、本領を安堵された。以後、秋月家が十代続いて廃藩置県へ。【出典】  


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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