松山藩 | |
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■ 松山藩(まつやまはん): 愛媛県松山市
・ 「松山」の地名。
・ 松平家15万石・家門
・ 松平隠岐守
・ 徳川家康の異父弟の久松定勝の家系。家康の母の於大の方は、実家の水野家が織田方に組したので離縁され、尾張国の斯波家の家臣である久松俊勝と再婚し、三人の弟を産んだ。定勝の子の定行が1635年に松山に入封した。
# 松山藩士:
# 伊予松山藩(いよまつやまはん): 伊予国。松山城。久松松平家。親藩。15万石。控間:溜間。格:城主。位階:従四位上。上屋敷:港区西新橋。豊臣政権下で加藤嘉明が入封して立藩。寛永4年(1627年)に加藤家が会津に転封になると、蒲生家を経て、寛永12年の久松松平定行からは松平家が十六代続いた。【出典】
■ 松山新田藩(まつやましんでんはん)
・ 伊予松山藩の支藩。伊予国。久松松平家。親藩。1万石。享保5年に、松山藩主の久松松平定直の子の定章が立藩し、子の定静が宗藩をついで廃藩。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。