斗南藩 | |
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■ 斗南藩(となみはん)
・ 「斗南」の地名
# 陸奥国北郡の斗南町(田名部町)にあった藩で明治維新後に会津藩が転封されてできた。
※ 「転封」という表現でいいのかな?一度お取りつぶしになって再興したんじゃ?
# 会津藩士一同は朝敵として処罰され、各地に分散収容されていたが、1869年にお家再興となり、旧南部藩の地である下北半島を中心とする、金田一(岩手県二戸市)以北の、三戸(青森県三戸郡三戸町)、五戸(青森県三戸郡五戸町)と、野辺地(青森県上北郡野辺地町)、田名部(青森県むつ市)の三万石と、北海道の後志国瀬棚(北海道久遠郡せたな町、瀬棚郡今金町)などの支配を命じられた。【斗南藩−「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起 星亮一著 中公新書】
# 斗南藩士:
# 斗南藩(となみはん): 陸奥国。円通寺。松平家。親藩。3万石。旧会津藩。戊辰戦争後に会津藩主の松平容保の子の容大が、3万石に減封されてうつされた。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。