弓削氏
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■ 弓削氏: 「弓削」の名字の由来

# 弓削(ゆげ)氏

・ 氏名は弓の製作にあたる弓削部(弓部)に由来する。弓削部は弓の製作と同時に、弓を武器とする靭負(ゆげい)集団であり、この部民を管理・統率する伴造が弓削であった。新撰姓氏録の神別には、左京の‐紂↓中(以上天神)、2次蔽狼澄法↓げ脇盥顱陛型澄砲了融瓩記載されている。,論仂緜臣と同祖で、神饒速日(にぎはやひ)命の後裔で物部系で、物部弓削連守屋の後裔。↓い蝋盧果紳后天日鷲翔(かける)矢命の後裔、は天押穂根命より出自で、始祖・出自系譜は以上の三系に分かれる。この三系は、元来別族の可能性が高い。いずれも姓は連であったが、,天武天皇十三年(684年)に宿禰を賜与された。一族には光明皇后の護持僧から一躍、孝謙天皇の寵幸を得て法王にまでなった道鏡がいる。弟の浄人は若江郡出身で、天平宝字八年の仲麻呂の乱で功をあげ、衛門督従四位上となり、それ以降道鏡の屁護で出世を重ね、宝亀元年には大納言・大宰師・衛門督・従二位となったが、この年に土佐国に流された。天応元年(781年)に罪を許され、若江郡に還された。【出典

※ 靭負(ゆげい・ゆきえ): 靫を負って宮廷諸門の警護にあたった者。

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