下毛野氏 | |
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■ 下毛野氏: 「毛野(けぬ)」の名字の由来
# 下毛野(しもつけの)氏
・ 崇神天皇の皇子の豊城入彦命の後裔氏族の一つ。下毛野国(現在の栃木県南西部)の名を冠した氏族。姓は君。天武天皇十三年(684年)十一月に朝臣となった。日本書紀の崇神天皇四十八年四月丙寅条、新撰姓氏録の左京皇別下の記事から、上毛野氏とともに豊城入彦命を祖とする氏族群の中核とみられる。先代旧事本紀の国造本紀の下毛野国造では、仁徳天皇の代に毛野国を分けて上下とし、豊城命四世孫の奈良別を初めて国造と定めたとあるが、新撰姓氏録の左京皇別下の大網公には、「六世孫下毛君奈良」とあり、下毛野氏が国造に任ぜられたことをうかがわせる。七世紀の後期には中央政権に参画していたとみられ、持統天皇三年(689年)十月辛未に直広肆下毛野朝臣子麻呂が奴婢六百人を解放することが奏可されている。古(子)麻呂は文武天皇四年(700年)六月に律令選定に加わり、大宝三年(703年)にはその功により田十町・封五十戸、さらに功田二十町を賜っている。【出典】
【姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細】