上毛野氏 | |
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■ 上毛野氏(かみつけの うじ): 「毛野(けぬ)」の名字の由来
# ルーツ: 崇神天皇の皇子・豊城入彦命
# 拠点: 大阪湾沿岸、朝鮮半島西南部 → 東国へ
# 特徴: 外交、軍事に秀で、修史・律令にも関与
# 役職: 陸奥守従四位下(上毛野君)等
・ 新撰姓氏録によると上毛野氏は皇別、諸蕃に区別された。
・ 日本最古の須恵器生産地のひとつの、陶邑(すえむら)を含む茅渟県(ちぬのあがた)の県主ににんぜられた。
・ 一部は朝鮮に渡り、その後再渡来したため、諸蕃と分類。
・ 上毛野氏や車持氏らは「東国の六腹(ろくはら)の朝臣(あそみ)」と呼ばれていた。藤原不比等の母親は車持氏の出身。
・ 上毛野氏の始まり。崇神48年正月。崇神天皇はふたりの優劣つけがたい皇子のどちらかを即位させるか迷っていた。豊城命(とよきのみこと・上毛野氏の祖)と活目命(いくめのみこと・後の垂仁天皇)だ。そこで夢占いをした。兄の豊城命は夢の中で「三輪山に登り東に向かって8回槍を突き出し、8回刀を振り回した。」。活目命は「三輪山の登り、縄を四方にはって粟をたべる雀を追い払った。」。崇神天皇は、この話を聞いて武勇を誇った豊城命を東国の平定に差し向け、四方に心を配った活目命に即位させた。しかし、豊城命は実際には東国に赴かず、孫の彦狭嶋王が東山道の十五国都督に命ぜられた。
・ 古代の関東の中心は群馬県(上野国)。上野国の一の宮は群馬県藤岡市にある「貫前(ぬきさき)神社」で主祭神は経津主神で物部氏を祀る。
・ 日本書紀では、崇神天皇と遠津年魚目目徴比売の第一子の豊木入日子命の後裔氏族としている。
【姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細】