山口県内の「内藤」の名字の詳細
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■ 内藤(ないとう)

# 長門国守護代藤原北家の出で、藤原道長の子孫という。もとは、東国御家人だったが、徳治3年(1308年)に周防国熊毛郡小周防(山口県光市)の地頭になって下向した、西遷御家人という。南北朝時代には、嫡流は北朝に属したが没落、大内氏に従っていた庶流の勝間田盛信が内藤氏を継いで、その孫の盛貞は大内盛見に仕えて重臣を務めた。盛貞の孫の盛世は長門国の守護代になって、以後は世襲した。戦国時代には、興盛は三女を毛利元就の長男の隆元に嫁がせたが、長男の隆時の娘は陶晴賢の正室になった。天文20年(1551年)に陶晴賢が大内氏に叛くと、隆時・隆世は晴賢についた。また興盛や子の隆盛は動かず、家中が分裂した。弘治3年(1557年)に隆世は大内義長とともに自害し、隆春は毛利元就に仕えてその重臣になった。江戸時代には長州藩の重臣を務めた。【出典

# 山口県の内藤氏: 周防国大内氏の重臣。藤原北家で道長の子孫と伝えられるが、東国の御家人地頭となって周防に下向したと言われる。江戸時代には長州藩の重臣。【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】  

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