富山県内の「土肥」の名字の詳細
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■ 県内131位: 土肥(どい)

# 相模国足柄下郡土肥郷(神奈川県足柄下郡湯河原町)をルーツとし、桓武平氏良文流。【出典】 

# 越中国新川郡の国人相模国土肥氏と同族。建長年間に土肥頼平が新川郡の地頭になって下向した。以後、堀江城(富山県滑川市堀江)に拠って、上杉氏に属した。永禄12年(1569年)に土肥実景のときに、上杉謙信に攻められて落城し、飛騨国に逃れた。庶流に弓庄城(富山県中新川郡上市町)の土肥氏がいた。井見荘(富山県上市町)の代官になって土着し、弓庄城を築いた。九代の政繁は上杉氏に属していたが、天正6年(1578年)の謙信の死後、織田方に転じた。しかし、天正10年に織田信長本能寺の変で自刃すると、再び上杉方に転じたため、佐々成政の攻撃を受けて、後に開城して越後国に転じた。【出典

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