新潟県内の「北条」の名字の詳細
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 新潟県の名字の特徴

■ 北条(きたじょう)

# 越後国刈羽郡の国衆大江姓で、越後国の毛利氏末裔。毛利氏は宝治合戦で一族が滅亡したが、越後国刈羽郡佐橋荘と安芸国吉田荘は安堵された。経光の子の基親は佐橋荘を支配し、北条に住んで北条氏を称した。その後の系譜ははっきりしないが、室町時代には越後国の有力国人になって北条氏を称した。戦国時代、北条高広は上杉謙信に属して活躍。永禄3年(1560年)に上杉謙信が関東に侵攻したのちには、上野国の厩橋城(群馬県前橋市)の城代になった。謙信の後継者争いである御館の乱では、子の景広が帰郷して北条氏出身の上杉景虎方について討ち死。北条城も落城して越後国の所領は没収された。厩橋城に留まっていた高広は武田氏に従い、武田氏の滅亡後には滝川一益に属し、さらにその後は小田原の北条氏に属した。【出典】 

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示