新潟県内の「牧野」の名字の詳細 | |
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■ 牧野(まきの): 新潟県の牧野家
# 新潟県の牧野家: 長岡藩主。【家紋:丸に三つ柏紋】明治維新後には子爵。
・ 越後長岡藩主。もとは阿波の武士で、古代豪族の蘇我氏の田口氏の子孫を称す。牧野成嗣が三河国牧野(愛知県豊川市)の地頭となり牧野氏を称した。【出典】
・ 長岡藩主。応永年間に成継が三河国宝飯郡牧野村(愛知県豊川市牧野)に移って牧野氏と改称した。康成は徳川家康に仕えて、1590年の関東入国の際に、上野国大胡(群馬県前橋市大胡町)で2万石を領した。1616年に越後長峰5万石を経て、1618年に長岡6万2000石。1620年に1万石を加増、新田も加えて7万4000石となった。忠精・忠雅・忠恭はいずれも奏者番・寺社奉行加役・京都所司代・老中を歴任した。幕末に忠訓は官軍に抗したが、1868年の戊辰戦争で新政府軍に敗れて城地を没収された。翌年忠毅が改めて長岡2万4000石を与えられて、明治時代には子爵。【出典】
# 新潟県の牧野家: 長岡藩主。紀氏の末裔といい、阿波の田口氏の子孫という。成継が三河国宝飯郡牧野(愛知県豊川市)の地頭になって、牧野氏を称した。牧野康成は徳川家康に仕え、上野大胡(群馬県)で2万石を領した。関ヶ原の合戦後、越後永嶺を経て、1618年に越後長岡に入封した。幕末に、官軍に抵抗し、明治2年に2万4000石に減知となった。明治時代には子爵。【出典】
# 長岡藩の分家の三根山藩の牧野家、長岡藩の家老の牧野家などがある。【出典】
・ 三根山藩(新潟市)藩主。長岡藩主の牧野忠成の四男の定成が6000石を分知されたのが祖。代々、寄合に列していたが、1863年に領内の高直しで1万1000石になり、越後三根山藩を立藩した。1870年に丹後峰山と同音であることから、新政府に願い出て峰岡藩と改めた。明治時代には子爵。【出典】
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