江戸幕府の組織 | |
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■ 大奥(おおおく)
■ 大家(おおや)
・ 江戸時代には貸家の管理人を大家と言った。また、貸家のオーナーは「家持(いえもち)」と言った。大家の仕事は、家賃を集め、町名主からの町触れを町内に伝え、ケンカの仲裁、町内の道路の修復、捨て子や行き倒れの世話など多彩だった。江戸時代後期には約2万人の大家がいた。【参考:お江戸の役人
面白なんでも事典 中江克己 PHP文庫】
■ 岡っ引(おかっぴき)
・ 岡っ引きは岡引(おかひき)が促音化したもので、「傍(おか・かたわら)にいて手引きする」という意味。手先(てさき)。町奉行所の同心が個人的に雇っていた。岡っ引きは南北両奉行所で150人ほど。【参考:お江戸の役人
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■ 外国奉行(がいこくぶぎょう)
・ 諸外国の応接と警備を担当した。役高2千石、後に1千石+300両。【参考:お江戸の役人
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■ 京都守護職(きょうとしゅごしょく)
・ 1862年に京都所司代の上位職として設置。畿内全域の治安維持にあたった。役料は5万石。最初の京都守護職は会津藩の松平容保で、千人の兵を率いて入京した。【参考:お江戸の役人
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■ 公事宿(くじやど)
・ 公事(訴訟など)のために、地方から江戸に出てきた人の宿。元禄年間に誕生したといわれる。【参考:お江戸の役人
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■ 郡代(ぐんだい)
■ 高家(こうけ)
■ 小姓(こしょう)
■ 政治総裁職(せいじそうさいしょく)
・ 福井藩の松平慶永がついた。幕政の最高責任者。【参考:お江戸の役人
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■ 代官(だいかん)
■ 大老(たいろう)
■ 道中奉行(どうちゅうぶぎょう)
・ 万治2年(1659年)に大目付の兼任で道中奉行の職を設けた。五街道を支配し、管理した。役料は3千石。【参考:お江戸の役人
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■ 足高の制
# 役高: 側衆5千石、書院番頭4千石、大目付、勘定奉行、町奉行は3千石、普請奉行は2千石。
役高以下の旗本が役につくと、差額分が支給された。たとえば、町奉行で有名な大岡越前はたしか1750石くらいの旗本の家だから、町奉行につくと差額の1250石が足高された。【参考:お江戸の役人 面白なんでも事典 中江克己 PHP文庫】
■ 鳥見(とりみ)
■ 長崎奉行
■ 旗奉行
■ 旗本(はたもと)
■ 蕃書調所頭取(ばんしょしらべしょとうどり)
・ 外国の、特にオランダの書物の教授や翻訳を行った。若年寄支配下で、定員は4名。旗本で俸禄は150俵7人扶持。【参考:お江戸の役人
面白なんでも事典 中江克己 PHP文庫】
■ 町年寄(まちどしより)
# 江戸の町の民政を取り仕切ったのが町役人で、町役人の上席が町年寄。江戸においては、町奉行の支配下で町名主たちを統括した。奈良屋、樽屋、喜多村家が世襲した。町年寄の仕事は、町触(まちぶれ)の伝達、名主の任免、争議の調停、地代や諸税の徴収。【参考:お江戸の役人
面白なんでも事典 中江克己 PHP文庫】
# 奈良屋: 町年寄の筆頭で、出身地の奈良を屋号とした。本姓は小笠原。初代の小笠原小太郎は、家康の伊賀越えの時の功労者。
# 樽屋: 先祖は三河以来の旗本で、徳川家と同郷の三河国刈谷城主の水野家(家康の母親の実家?)の出身で、水野弥吉と称した。三方ヶ原の戦いの功績で家康から「樽三四郎」の名を賜った。
# 喜多村家: 初代は、家康と共に江戸に入り、町人支配を命じられた。
■ 町名主(まちなぬし)
・ 江戸の町の町年寄の元で、町方の民政を取り扱った。おもな仕事は町触れの伝達、人別改(戸籍調べ)、火の元の取締り、訴訟の和解調停など。町名主には、草創名主、古町(こちょう)名主、平(ひら)名主などがあった。
・ 草創名主: 江戸創生期の名主。
・ 古町名主: 寛永年間までにできた町の名主で約300町あった。
・ 平名主: 新しく開けた町の名主。
寛永年間の町名主の人数は252人。給与は役料といい、町内からの徴収金で賄われた。【参考:お江戸の役人 面白なんでも事典 中江克己 PHP文庫】
■ 与力と同心
■ 留守居(るすい)