秋田県内の「生駒」の名字の詳細 | |
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■ 生駒(いこま): 秋田県の生駒家
# 秋田県の生駒家: 矢島藩主。大和国平群郡生駒荘(奈良県生駒市)をルーツとし、藤原氏の出。戦国時代には織田信長に仕え、豊臣秀吉に属し、讃岐一国(17万石)を賜った。関ヶ原の戦いの後には、東軍に属し江戸時代には高松藩主。のちに、生駒騒動で改易されたが後に矢島藩主で復活した。【出典】
・ 矢島藩主。大和国平群郡生駒荘(奈良県生駒市)をルーツとし、藤原姓という。戦国時代に、親正は豊臣秀吉に属し、1587年に讃岐一国17万石を与えられ、関ヶ原の合戦では一族の多くが西軍に属したが、親正の長男の一正は東軍について戦後も引き続き高松藩主となった。四代藩主の高俊の時に家臣の勢力争いから生駒騒動が勃発、1640年に高俊はいったん改易され、改めて出羽矢島(秋田県由利本荘市矢島)で1万石を与えられた。1659年に高俊の遺領は長男の高清に8000石、二男の俊明に2000石を分知され、両者とも旗本になり、高清は交代寄合となって八森(はちもり)に陣屋を置いた。幕末、親敬は新政府軍に与し、1868年に1万5000石に加増されて大名に復帰した。明治時代には男爵。【出典】
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