「朴沢」の名字の由来 | |
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■ 朴沢(ほおざわ)
【2014/11/01:改編】
# 岩手県と宮城県に多く見られる。
# 陸奥国宮城郡山村朴沢(宮城県仙台市泉区朴沢)をルーツとし、藤原北家秀郷流。鎌倉時代に山村の地頭となり朴沢氏を称した。戦国時代には国分氏に仕え、江戸時代には仙台藩士。
# 宮城県の朴沢(ほうざわ)家: 仙台藩士で陸奥国宮城郡山村朴沢(宮城県仙台市泉区朴沢)の出。藤原北家秀郷流で鎌倉時代に山村の地頭となり朴沢氏を称した。戦国時代は国分氏に仕え、江戸時代には仙台藩士。
# 朴沢(ほおざわ): 宮城県仙台市泉区朴沢。地名の由来は、国分氏家臣朴沢氏がこの地に居城したことによると伝える。ただし朴沢氏は本来独立の地頭大河戸氏の分かれである。
・ 武蔵国大河戸御厨(埼玉県越谷市・三郷市)をルーツとする大河戸氏は、奥州合戦の功績で陸奥国宮城郡山村の地を得て、南北朝期以降は朴沢氏を称する。【出典】
・ この朴沢氏が朴沢の地名によるか、ないし朴沢氏の領主支配に基づいてその地域が朴沢と地名化することになったかは不明だが、南北朝期から室町前期にかけてのことであることは疑いない。朴沢氏は大河戸の一族。南北朝期を通じて七北田川に沿う根白石・実沢(さねざわ)の東北部一帯の山村を根拠として、長く南党として活躍したが、のち足利方に従った。朴沢蔵人経家から4代の孫政時が、国分彦九郎盛重に仕え、以後国分氏累世の臣になったという。【出典】
# 参考地名: 朴沢(ほおのさわ): 山形県東置賜郡川西町朴沢(ほおのさわ)。地名は谷川付近に朴の木が繁茂していることによる。【出典】
・ 朴沢郷: 戦国時代から出羽国置賜郡下長井にみられた郷名。
# 「沢」のつく名字。
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