鎌原」の地名の由来
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■ 鎌原(かんばら): 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原

・ 浅間山北麓、吾妻(あがつま)川上流右岸、同川支流赤川・小熊川流域に位置する。

・ 旧鎌原村: はじめ沼田藩領、天和2年幕府領。村高は、「寛文郷帳」197石余うち田方35石余・畑方161石余、寛文2年真田氏の検地で911石余と打ち出されたが、貞享2年幕命によって一般にお助け検地と呼ばれる再検地が行われ、309石余、「元禄郷帳」も同高、「天保郷帳」332石余、「旧高旧領」同高。【出典

・ 天明3年の浅間焼けの際には直撃を受け、被害は甚大であった。同年の浅間焼出大変記によれば、高332石余のうち300石余が泥押しとなり、流死者466・飢人93、流失家屋93、延命寺も流失した。同年の飢人夫食拝借小前帳によると、飢人93人中男40人分の米4石8斗・代金4両3分余、女53人分の米3石1斗余・代金3両余が支払われている。また、同年の浅間焼復興請負証文によると、馬数200うち流死馬170、惣反別92町1反余のうち無難分4町5反・火石泥入分87町6反余、このうち29町8反余は当村の生存者93人で起返普請を行うことにし、残り57町8反余の復興計画は、大積り人数290・家数145、金1340両ほどとして、大笹村名主長左衛門に請負わせた。【出典】  

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