「久下田」の地名の由来
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■ 久下田(くげた): 栃木県真岡市久下田

・ 天文14年常陸下館城主水谷正村によって築城された久下田城跡がある。築城後水谷氏は芳賀城と抗争を繰り返し、のち田野城を攻略した。【出典

# 久下田(くげた):  地名については、昔久下某の拓いた田、公廨(くげ)(官庁)の田など諸説あるが、鵠(くぐい)(白鳥)の群生した田ともいう。

# 久下田城(くげたじょう): 河連城・生牛城ともいう。中世の平城。芳賀郡二宮町久下田・茨城県下館市樋口に所在。出丸の一部が久下田に存するが、大半は茨城県に属し、茨城県史跡。国鉄真岡線久下田駅の東方に位置し、五行川右岸の段丘上に築かれた。当城は天文14年〜永禄8年の間に、下館城主6代水谷正村が築いた。正村は天文12年入道して蟠竜斎と号し、久下田に築城後は芳賀氏と抗争を繰り返し、後には田野城(益子町)を攻略。当城は下館城の支城として機能した。正村の死後、この地は水谷氏が領有して勝俊に受け継がれたが、子の勝隆のとき、元和元年の一国一城令で廃城。寛永16年、水谷氏が備中松山に移封されるに及び、完全に廃城となる。【出典】  

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