練合」の地名の由来
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■ 練合(ねりや): 富山県射水市海老江練合(ねりや)

・ 神通(じんづう)川の河口で西に伸びる砂丘、海老江(えびえ)の東辺に位置す。中世の「ねりあいの里」で、往来に集落ができた。砂丘の連なったねりまわる浜街道に沿うことから練合と名付けたものであろうという。慶長2年すでに地引網が行われていた。【出典

・ 練合: 旧新湊市。はじめ海老江村、昭和28年から新湊(しんみなと)市の大字となり海老江を冠称。同44年、国立富山商船高等学校が同市八幡町3丁目より新校舎を移転した。同51年西南辺の一部が、海老江・七軒の一部と合わせて東明七軒(とうめいしちけん)となった。半農半漁生活を営む。【出典

・ 練合村: 江戸期〜明治22年の村名。婦負郡倉垣荘のうち。はじめ加賀藩領、のち富山藩領。 明治4年の村鑑帳によれば村高303石、網役銀・浜投銀を併せて173匁があった。牛ケ首用水の開削により、水利の関係上射水郡より針山新村とともに婦負郡に属した。地先の海域に台網、名塚配をもち、南方に足洗潟に続く沼沢を有し、藩主の良き狩場であった(同前)。文化5年、海辺に大波がおしよせて波除土居を破ったため、砂入りの地所をめぐって当村と七軒集落との間に領界をめぐる争いが起きた。これは加賀藩・富山藩をも巻き込んで、近隣の領界争いの中では最大のものとなったが、文化2年領境に杭6本を打ち松6本を植えることで解決をみた。明治9年石川県、同16年富山県に所属。同22年、射水郡海老江(えびえ)村の大字となる。【出典】   

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