「尾花沢」の地名の由来
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■ 尾花沢(おばなざわ): 山形県尾花沢市

・ 尾花沢市のホームページを見ても、市名の由来は見あたらず。

# 日本辞典によると
・ アイヌ語の「オ・ハナ」(川下の端)に由来し、花と美称地名を当てたとする説がある。またアイヌ語の「オ・バネ」(山の峰・、赤い粘土地)に由来し、「尾羽根」と当て、ススキ・「尾花(おばな)」が群生し「沢」が入りくんだ地であったことから「尾花沢」と変化した説、租税に鷲や鷹の尾羽根を納めたことに由来する説などもあるという。

# 平安時代の「調」に鷲や鷹の羽があり、その産地が尾羽(おばね)と言われた。尾羽が尾羽根沢になって江戸時代に尾花沢になった。

# 「おばねざわ」ともいい、「お(接頭語)」+「はに(粘土)」+「さわ(沢)」の転で「粘土のある沢」の意味。【出典

※ やや離れるが、舟形町には猿羽根(さばね)峠があり、また鮭川村には羽根沢(はねさわ)温泉、大石田町には羽根沢(はねざわ)の地名があり、いずれも「はに」由来か?

■ 尾花沢領(おばなざわりょう): 山形県

・ 江戸期の所領名。村山郡のうち。領名は尾花沢に代官所が置かれたことにちなむ。寛永13年24万石の鳥居氏改易され、保科正之が20万石で山形に入封すると、尾花沢領32か村2万石と寒河江領2万石が幕府領となり、鳥居氏預りとなっていた谷地村をはじめとする1万5千石とともに代官小林重郎左衛門が支配した。小林代官は延沢銀山の管理のため延沢に在陣することが多かったが、その後幕府領が増大すると、上郷を支配する寒河江代官と、下郷を支配する尾花沢代官に二分された。松平清左衛門・同清兵衛・同清三郎までは、村山郡幕府領を一括支配した。この間松平清兵衛代官は寛文11年から延宝3年にかけて一斉に検地を実施している。松平清三郎代官のとき、貞享4年から太田半左衛門が上郷諸村を支配し、寒河江代官が分立した。【出典

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