御嶽山
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「タキ・タケ」の語源  
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★ 全国に、「御嶽」といわれる山は多く存在するようだ。

■ 御嶽山(おんたけさん): 長野県と岐阜県の県境にある山。
・ 木曽郡開田村・三岳村・王滝村と岐阜県益田(ました)郡小坂町との境にある複合成層火山。標高3、063.4m。山体はほぼ円錐形をなし、基底直径約25km、基盤からの比高1、500m。頂上部は五峰五湖と呼ばれ、北から継子岳、摩利支天山、最高峰の剣ケ峰、王滝頂上、継母岳などの峰々、一ノ池から五ノ池までの火口湖よりなる。二ノ池と三ノ池は常時水をたたえており、二ノ池は標高2、905mにある日本最高所の湖沼。
・ 火山活動は3期に区分される。第1期は玄武岩や石英安山岩などの大量の溶岩を噴出して大きな成層火山を形成。第2期では爆発的な噴火によりカルデラを形成したが、流紋岩の流出や軽石(御嶽第一軽石層)の噴出が続いたためカルデラは埋積。第3期は摩利支天山など山頂部の成層火山体をつくり、活動を終えた。しかし、昭和54年10月28日に有史以来初めて噴火し、地獄谷に新火口を開いた。また、同59年9月14日には御嶽山南東麓を震源とする地震(マグニチュード6.9)の発生により、南中腹の山体の一部が崩壊し、流下した崩壊物は王滝川をせき止めた。この崩壊を伝上崩れと呼ぶ。
・ 御嶽山は各地に分布する国御岳の一つとして蔵王権現が祀られ、古くから信仰の対象とされていた。江戸期には覚明・普寛の2人の行者による登山道の整備や潔斎制度の簡素化などにより、大衆の信仰登山が広まった。明治期に入ると、女人禁制の解除、W.ウエストンの登山、中央線の開通などが契機となって、一般の登山者が増加。【出典

■ 嶽山(だけさん): 滋賀県高島郡高島町大字音羽西南方の山。別称「だけやま」。「万葉集」の「旅なれば夜中を指して照る月の高島山に隠らく惜しも」の高島山という説もある。頂上に石仏元嶽岩屋観音、中腹の白坂(しろざか)の上に嶽観音が祀られており、石窟もある。「鴻溝録」に元嶽岩屋観音について「登ること四、五町上にあり、境内東西六十間、南北二十間許、嶽観音元比所に在しを参詣人の労を計りて今のところまでおろす」といい、また常夜灯は伊勢白子の長嶋長十郎が近江杣山(そまやま)の観世音に祈ったところ、母の大病が全快したので常夜灯を寄付したとある。【出典

■ 御嶽山(みたけさん): 東京都青梅市御岳山。江戸期は御嶽村のうちで、御朱印社領地分がのち大字として独立した。はじめ三田村、昭和30年からは青梅市の大字御岳山となり現在に至る。【出典

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