明治三陸大津波
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■ 明治三陸大津波

・ 明治29年(1896年)6月15日。岩手県下閉伊郡岩泉町沖を震源とするM8.5の地震。最大震度4。死者21000人。当時、盛岡まで知らせが届くのに10時間かかった。

・ 歴史上一番古い三陸津波は貞観11年(896年)5月26日に発生。

・ 慶長16年(1611年)10月28日に三陸一帯に津波が押し寄せた。その後延宝5年(1677年)10月9日、寛政5年(1793年)1月7日、安政3年(1856年)7月23日にも津波の記録がある。 

# 明治三陸大津波

・ 明治29年(1896年)6月15日

・ 三陸沖でM8.5の地震が発生。三陸沿岸では震度2〜3を観測。その後の津波による死者は約22000人。岩手県で18000人以上、宮城県で3400人以上、青森県で300人以上。津波の高さは最大38m。

・ 津波によって壊滅的な被害をうけた地域では、再建にあたって「集落の高所移転」が提案された。204名の犠牲者を出した岩手県気仙郡吉浜村(現・大船渡市)では、高所移転によって、昭和8年の「昭和三陸大津波」では最小限の被害ですんだ。一方、吉浜の北隣の気仙郡唐丹村(現・釜石市)では、人口1502人中、1244人が犠牲となった。この地区では、一度高台に移転した人たちが、豊漁のために、作業のしやすい海岸に戻ったことが裏目に出た。

この年は国内で災害が多発し、9月には台風により大洪水がおきた。東京でも弘化3年の江戸大洪水以来の大災害となった。このとき「江戸時代に作られた堤防は決壊せず、明治時代になって作られた堤防が決壊した」という。

【今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで 岳真也 PHP文庫】

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