当て字は日本の偉大なる文化
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■ 150221: 当て字は日本の偉大なる文化

時代とともに「名付け」の流行は変化してきました。たとえば大正元年には「正一」。昭和の初頭には「昭二」「昭子」など「昭」を使った字が増えた。また戦時中には「勝」「勇」「紀子」「洋子」、戦後は「和夫」などが流行りました。しかし、明治以降、あまり当て字の名前は見られませんでしたが最近とみに当て字の名前が目立つようになりましたね。俗に「キラキラネーム」というようですが、この原因には文化人が文化を牽引する力を失い、アニメやゲームのキャラクターが主導権を握る時代だからなのかなぁ。

しかし、この当て字。古代より日本の文化と言ってもよく、名字や地名にはそれこそわんさか見られ、旧国名なんか当て字のオンパレードといってもいいでしょう。

たとえば、東京スカイツリーの高さが634mでこれは旧武蔵国に由来しますが、この武蔵、知っているから読めますが、漢字一字一字を分析するとちょっと読めない。上野国もそうだねぇ。吉良上野介で有名だから読めますが、それを知らないとなんと読むという迷いが。

「ムサシ」は以前は「牟邪志」や「牟佐之」などとあてたもので「むさ苦しい」の「ムサ」で、荒れた土地をあらわしたものと言われています。古代、日本には漢字はありませんでしたが、地名の読みは存在しました。そして、漢字が伝わってきたのをきっかけに漢字でその音を表現しようとしてできたのがいわゆる当て字ですね。

ちなみに「武蔵」のウンチクを披露すれば、大化の改新以前は、相模国と武蔵国は「武射(むさ)」と呼ばれる一体の行政組織だった。後に「武射上(むさかみ)」と「武射下(むさしも)」に分かれ、「武射上(むさかみ)→相模(さかみ)」と「武射下(むさしも)→武蔵(むさし)」と変化したそうです。

また、上野(こうずけ)は、関東の大豪族である上毛野氏(かみつけのし)の所領であることからできたようで、昔は「(上)毛野(けの)国」といったそうです。

最近のキラキラネームも、最初に「音」があって後に「漢字をあてた」ものが多いという意味では、日本の当て字文化を踏襲しているようです。このように、当て字は日本の偉大なる文化の一つのようです。 

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