| 桂昌院 | |
| 【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
| 名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
| 名字と地名のMenu | 歴史的人物のTop |
| スポンサーリンク |
| スポンサーリンク |
■ 桂昌院(院号)
・ 1627年〜1705年。
・ 本名: 北小路宗子。
・ 別名: お玉の方、秋野、三丸殿、藤原光子
・ 階位: 従一位
・ 「玉の輿」の語源となった。京の町人の娘が将軍の側室になったことによる。
・ 桂昌院の母親が二条家の家臣と再婚し、16歳の時に徳川家光の側室のお万の方の奉公人となるため、関白の二条家平の家臣である本庄宗正の養女となって、家格をあげた。
# 桂昌院(けいしょういん): 1627-1705年。本名はお玉。春日局の指示で徳川家光の側室になって、徳松を産んだ。家光の死後、大奥を離れて出家して、桂昌院を称した。徳松が五代将軍の綱吉になると、江戸城の三の丸に戻って、大奥で権力を握った。【出典】
【Help】 「苗字」「階位」「幼名」「通称」「諱」「尊称」「号」「氏」「姓」などはこちらをご覧ください。