伊藤博文
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■ 伊藤博文(いとうひろぶみ)

・ 1841ー1909年。享年69歳(暗殺)

・ 出身地: 周防国(山口県)

・ 肩書: 長州藩士・政治家

・ 周防国の貧農の長男として生まれた。17歳で松下村塾に入門したが、その2年後に師の吉田松蔭が刑死し、その後は高杉晋作桂小五郎らに誘われて倒幕運動に参加した。その後、イギリスに密航して留学した。明治維新後には、新政府では外国事務局の判事などの要職を歴任した。博文は、30歳で岩倉使節団の副使として欧米を視察した。帰国後の征韓論争においては、内治優先の岩倉具視大久保利通らに信任を得た。博文が急務としたのは、立憲政治の確立だった。1882年に、博文は明治天皇に憲法調査を命じられて渡欧し、帰国後には大日本帝国憲法の起草に着手した。その後、三条実美を抑えて、初代の内閣総理大臣となった。【出典


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