大久保利通
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■ 大久保利通(おおくぼとしみち): 「大久保」の名字の由来

# 幼名は正袈裟(しょうけさ)。本名は久済。通称は正助(しょうすけ)。薩摩藩の島津久光に仕え、「一蔵(いちぞう)」の名を賜った。その後、久光の七男の新之助が元服して「久済」を名乗ったため、「済」の字を避けて「利通」とした。【出典

# 大久保利通(おおくぼとしみち)【出典

・ 1830−1878年。享年49歳(暗殺)

・ 出身地: 薩摩国。

・ 肩書き: 薩摩藩士。政治家。

・ 家紋: 三つ藤巴紋。

・ 大久保利通は、薩摩国鹿児島城下町に、藩士の大久保利世の長男として生まれた。1858年に、島津斉彬が死去すると、利通は藩の権力者の島津久光に接近、公武合体政策を進め、藩政の中枢へと上りつめた。藩の実権を握った利通は、流刑になっていた西郷隆盛を藩政に呼び寄せた。そして、公武合体から倒幕へと転換。長州の桂小五郎らと結んで、薩長同盟を成立させた。明治時代になって、海外使節から帰国し、殖産興業、富国強兵の重要さを痛感。その結果、征韓論の西郷隆盛と袂を分かった。その後、内務省の初代内務卿になり、西郷が西南戦争をおこすと、鎮圧の指示を出した。  


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