島津久光
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■ 島津久光(しまづひさみつ)【出典

・ 1817−1887年。享年71歳(病死)。

・ 出身地: 薩摩国。

・ 肩書き: 島津藩士。政治家。

・ 家族: 父:島津斉興。母:お由羅。

・ 家族: 丸に十字紋。

・ 島津久光は、薩摩藩の十代藩主の島津斉興の五男で、斉彬の異母弟。斉興のの後継をめぐり、久光、斉彬それぞれに後見ができて「お由羅騒動」が起きた。44歳で、藩主の忠義の父として、藩政の実権を掌握、大久保利通を重用して、公武合体政策を進めたが、自分には批判的だった西郷隆盛を冷遇した。1861年に、公武合体運動のために兵を率いて入京、攘夷派をおさえて江戸に下向し、幕政改革にも参加した。その、帰路に、久光の行列を妨害したとされるイギリス人を殺傷しておきたのが生麦事件。明治維新後には内閣顧問になった。 


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