一休宗純
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■ 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)【出典

・ 1394−1481年。享年88歳(病死)。

・ 出身地: 京。

・ 家族: 父:後小松天皇

・ 肩書き: 僧(臨済宗)

・ 母は藤原氏の家系で後小松天皇の寵愛を受けて一休を産んだという。幼名は千菊丸といい、六歳で臨済宗に入門して受戒した。一休は道号、宗純は戒名。多くの奇行が伝えられ、また仏教の戒律を破って男色・女犯・飲酒・肉食を行っていたという。これは禅宗において重要視される「風狂(ふうきょう)」といわれるもので、悟りの境地として肯定的にみるという。実際に、一休は仏教が政治と癒着することによって起こる腐敗や形骸化に警鐘をならしていた。また、足利義政日野富子の政治も批判した。

■ 一休宗純(いっきゅうそうじゅん): 安国寺における名は、周建。その後、西金寺(さいこんじ)の謙翁宗為の弟子になり、師の名前から一字とった法名を「宗純」といった。一休は道号で、大徳寺の高僧の華叟宗曇より授かった。ある禅問答に「・・・・・ 一休み ・・・・」と、答えたことに因む。【出典


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