| 松尾芭蕉 | |
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■ 松尾芭蕉(俳号): 「松尾」の名字の由来
・ 1644年〜1694年
・ 幼名: 金作
・ 通称: 藤七郎、忠右衛門、甚七郎
・ 号: 桃青、芭蕉
・ 松尾家は、伊賀の無足人(郷士)。芭蕉は19歳で伊賀上野の藤堂良忠に仕えた。
# 松尾芭蕉: 幼名は「金作」。名は「忠右衛門宗房」で、最初は「宗房(むねふさ)」を俳号としていたが、「桃青」から「芭蕉」と改めた。芭蕉を初めて使ったのは、俳諧撰集、「武蔵曲(むさしぶり)」に収められている句から。門人の李下から芭蕉の株を贈られたことにちなむ。芭蕉の句風を「蕉風(しょうふう)」という。【出典】
■ 松尾芭蕉(まつおばしょう)【出典】
・ 1644−1694年。享年51歳(病死)。
・ 出身地: 伊賀国。
・ 肩書き: 俳人。
・ 松尾芭蕉は、伊賀国の農家に生まれ、伊賀藩主の藤堂家の藤堂良忠につかえた。2歳年上の良忠が俳句をたしなんでおり、その影響で芭蕉も良忠と同じ北村季吟に師事し、俳諧の道に入った。1664年に俳人の松江重頼が編纂した「佐夜中山集」に初めて句が入った。その2年後、良忠が25歳で死去すると、芭蕉は遺骨を高野山に納め、世の無常を思い、藤堂家を去った。その後芭蕉は江戸に下ったが、生活は苦しく神田上水の工事などにたずさわった。1680年に深川に草案を建てた。その後芭蕉は旅を繰り返し、46歳で弟子の曽良を伴って「おくのほそ道」に旅立った。【出典】
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