多氏
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■ 多(おお)氏: 「多」の名字の由来

・ 太、意富、大とも書いた。

・ 大和国十市郡飫富郷(奈良県磯城郡田原本町多)を本拠とした氏族

・ 神八井耳命を祖とする。

・ 姓(かばね)は「臣」

# 多(おお)氏

・ 大和国十市郡飫富郷(奈良県磯城郡田原本町)を本拠とした中央豪族。神武天皇の皇子の神八井耳命の後裔を称し、氏名を太・大・意富・於保にも作る。天武天皇十三年(684年)、本流の一族は朝臣姓を賜った。日本書紀の景行天皇十二年九月条に、天皇の筑紫巡幸の陪従者に多臣の祖、武諸木の名を記し、豊前国の賊を計略によって討ち取ったとある。九州の火君・大分君・阿蘇君・筑紫三宅連は、「古事記」の神武天皇段に神八井耳命の後裔とし、多氏と同祖であるから、武諸木の所伝は、これら九州の豪族が多氏の同族系譜に編入された段階で成立したものだろう。多氏の氏人が史料に表れるのは「日本書紀」の天智即位前紀の多臣蒋敷(こもしき)が最初で、その妹が百済王子豊璋の妻になったとある。壬申の乱で吉野側の武将として活躍した多臣品治(ほんち)は、久安五年(1149年)の「多神宮注進状」草案によると、蒋敷の子で、さらに品治の子を「古事記」の編者の太朝臣安麻呂とする。【出典

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