参勤交代が後世に与えた影響
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■ 参勤交代が後世に与えた影響

参勤交代において、諸大名の江戸における出費は、加賀藩や土佐藩は6〜7割。秋田藩、越後長岡藩備中松山藩は藩費の四分の三を占めたそうだ。つまり、江戸の町は地方(国元)における収入(税収)によって作られた街といってもいい。

それから、旧宿場町は、参勤交代やお伊勢参りによって発展した。諸外国と異なり、中世の日本の移動手段は徒歩(人力)が主だった。ちなみに諸外国などは馬車など。徒歩の場合には1日の移動距離は限られる。その移動距離に対応するように宿場町が形成され発展していった。当然ながら、人は江戸に集まるわけだから、江戸に近いほど人流が多く、宿場町は大きくなる。東海道五十三次というが、東海道(約514Km)に53の宿場があったわけだから、宿場間の距離は約10Km。そして約1里(4Km)毎に茶店などができて、それが発展していった。そして発展の方向は当然ながら街道に沿ってということになる。その後、鉄道ができたわけだが、概ね旧国鉄の代表的な駅間距離は4Kmといわれ、まさに昔の茶店間の距離となる。それが、現在でも都市の市街地を抜けても、山間部を除いては街道沿いに家並みが連なるという現状を作った。したがって、鉄道文化も車文化も、海外と比較しても致し方ない点がある。具体的に言えば、鉄道においては「日本では電車」、車においては「日本ではディーゼルよりもハイブリッド車」といったところだろうか。

ちなみに、現代の参勤交代は何か?ある説によると、大学の東京偏在だと言われている。つまり、人(大学生)が東京に集まり、地方で稼いだ金が東京で消費されているということである。もちろん、大企業本社の東京偏在の影響も大きいのは言うまでも無い。

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