加田屋新田
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■ 170310: 加田屋新田(かたやしんでん)

・ まず基本からだが、「〜新田」という地名の「〜」の多くは、「本村の名前」や「開拓者の名前」がはいることが多い。

・ 埼玉県さいたま市見沼区加田屋新田(かたやしんでん)

・ 延宝3年に江戸の町人の加田屋坂東助右衛門尚重が、見沼の一部を干拓し田畑52町6反歩を得、入江新田として村立てしたが、この干拓は沼の東を締め切って、上流から流入していた水を流路変更により綾瀬(あやせ)川に落としたものであったため、沼を用水源としていた下流村々と訴訟となり、享保3年沼に復元された。同13年3代目助右衛門尚常は幕府の公許を得て再び入江新田を開発、田畑65町を開き、同家の屋号を冠して加田屋新田とした。【出典

# 加田屋の名字は坂東で、坂東家は江戸に来る前は和歌山県に住み、その郷里の名前が加田村で、屋号はそこからとったそうだ。そこで、和歌山県の加田地名を調べてみたが、ヒットせず。当初は和歌山県和歌山市加太から転字したのかと思ったが、加田村は現在の和歌山県海南市日方に比定されるようだ。そこで「日方」を調べて見た。

# 加田村(かたむら): 和歌山県海南市日方

・ 室町期に見える村名。名草(なぐさ)郡三上荘大野郷のうち。なお江戸期の「名所図会」には「潟村 今神田村をいふなるべし」とある。当村は潟村とも書かれ、後に神田(かんだ)村(浦)と称するようになったとされており、戦国期にはカン田の地名が見える。現海南市日方のうちに比定される。【出典

# 日方(ひかた): 和歌山県海南市日方

・ 海南港に注ぐ日方川下流域に位置する。北部には城が峰などの小山があるが、大部分は平坦地で、日方川の沖積によって中世に陸地化したものと考えられる。地名は干潟が転じたものという。城が峰山頂には中世の大野城の出城である日方城跡がある。【出典

・ 日方村: 室町期から見える村名。名草(なぐさ)郡三上荘大野郷のうち。日方浦とも称した。なお江戸期の「続風土記」は、「日方は干潟にして海辺沙浜の名なり」として地名の由来を記す。【出典

 室町時代に「加田村」と「日方村」の両方が存在したのか?それとも「日方」から「加田」へ転じたものか?不詳

 ちなみに滋賀県にも、「加田」地名が存在する。滋賀県長浜市加田町 。これは、神田山北西麓に位置し、、古くは神田とも書き「かんだ」ともいう。地名の由来は、藤原氏全盛時代に伊勢神宮御厨地として神領に加えられたことによるとのこと。つまり「加田」は「神田」から転じたもののようだ。

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