宮崎県内の「内藤」の名字の詳細
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■ 内藤(ないとう): 宮崎県の内藤家 

# 宮崎県の内藤家: 延岡藩主藤原北家秀郷流で、盛俊の時に源頼朝に従い、室町時代には丹波国曽地荘(兵庫県篠山市)の地頭を努めた。応仁年間三河国に移り住み、後に松平氏に仕え譜代大名となった。 

・ 延岡藩主藤原北家秀郷流の丹波内藤氏の子孫という。応仁年間に三河国に転じて、碧海郡上野村に住んだという。義清の時に松平信忠に仕え、上野城に拠った。以後、譜代の家臣となった。家長は1590年の関東入国で、上総佐貫2万石を与えられ、関ヶ原の合戦では伏見城を守って戦死した。子の政長は1622年に磐城平7万石に入封。義孝の兄で病身のため家を継がなかった義英は、露沾(ろせん)を号した俳人として著名。1747年に政樹の時に日向延岡に転封した。政樹は算学者でもあり、以後幕末まで数学は藩学の一つであった。また、露沾の長男であることから、沾城(せんじょう)と号した俳人としても知られた。幕末の当主の政義は大老井伊直弼の実弟。明治時代子爵。【出典】 

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